49:涙

 12月21日。その日は特に寒い一日だった。ある宿屋の主人は、あまりの寒さにぼやきながら掃除をしていた。彼の息子は庭に氷が張っていたといって大喜びしていた。子供は元気だ。雪でも降ったらもっとはしゃぐのだろうが、今日の空は冬特有の寒々とした晴天である。
 掃除が一段落したところで、客のひとりが現れた。この寒いのにどうやら出かけるらしい。
「お客さん、お出かけですか?」
「うむ、そのために来たんだからのう」
客は元気そうではあるが、それでもかなりの年寄りである。主人は少し心配になった。死なれでもしたら目覚めが悪いと、いささか縁起の悪いことまで考えてしまう。
「大丈夫ですか?今日はかなり冷え込んでますよ」
「大丈夫じゃよ。少しは鍛えておるんでね」
「ですがね……」
「クリスマスまでにはルセイヌに帰ると約束しておるしの。行ける時に行っておかんと、吹雪にでもなったら困る」
 どうやら行くことはもう決定しているらしい。となれば、止めても無駄であろう。確かに体つきは立派なものであったし、極論を言ってしまえば宿の料金は前金でもらってあるのだ。過度の心配は無用のもの。
「そうですか。では気をつけて。」
「うむ」
 客を見送って一息つく。はて、こんな寒い日にあのお客さんはどこに行ったのだろう?疑問に思い、そういえばなんという名前だったか、と宿帳をめくる。本来ならば名前くらい覚えておくべきなのかもしれないが、彼は商売人としてはどうかと思うほどずぼらだった。細かいところはかみさんが覚えてるからいいのさ、と誰も聞いていないのに心中でのろけながら、宿帳をめくり、目当ての日付と名前を探し出す。
「ふーん、ジアエストル…悪役みたいな名前だなー……って、ジアエストル?!」
小さな宿屋に、主人の驚きの声が響き渡った。


 冷たい北風の吹くなか、ジアはある岬を訪れていた。彼の息子が眠っている海を臨む場所である。美しいとはいいがたい塔がそびえ立つ、この寂しい場所に、ジアが来たのはあの時以来のことだった。
「やっと来れたのう」
 新しいルセイヌが出来上がっていくのを、基本的に眺めながら、たまに手伝ったり、口を出したりして。忙しいというほどの日々ではなかった。それでもこの場所には来れなかった。時がたち、クリスマスが近づいた今。なんとか気持ちに整理をつけて、この地に立つ。いつか、親子で過ごしたクリスマスを思い出しながら。
 岬の縁に立つと、強い風とは裏腹に、波は案外静かだった。風にあおられそうになりながら、地面にしっかりと立つ。そして土産の酒瓶を開け、問い掛ける。
「お前は酒は好きだったか?」
酒瓶を傾け、とくとくと海へこぼす。墓参りに行くとき持っていくとすれば花束あたりが無難なのだろうが、彼の息子ならば、きっと花よりも。そう思って、酒を持ってきた。一緒に飲んだことなんてなかったけれど。
「酒が飲めたかどうかも、教えてくれんかったなあ」
 恨めしげな口調になってしまった。それでも心は一時期よりはずいぶん穏やかだ。息子のことを思うと、後悔しか生まれなかった時期に比べれば。
「そっちはどうだ、母さんには会えたか?」
 会えているといい。同じ天国に、住めているといい。虫のいい話かもしれないが、そう願わずにはいられない。来るな、と自分に向かって叫んだ息子の目を、ジアは今でも忘れられない。助けてくれと、同時に叫んでいたようなあの目を。
「……お前は本当に、親不孝もんじゃよ」
 親より先に死んでしまうのが、何よりの親不孝。酒瓶の最後の一滴まで海にそそいで、ジアは空を見上げる。
「この、馬鹿息子め」
つぶやいたジアの声には、それでも愛情がこもっている。愛情と、こらえきれない哀しみが。


 そのとき、空を見上げたジアの頬に、ポツリと冷たいものが落ちた。
「雨……?」
呆然と頬をぬぐう。確かに水滴が落ちてきた。
 そしてまた一滴。ぽとぽとと落ちてくる、雨。
「雨……」
繰り返して、雨を降らせている空を見る。


 氷が張るほど寒い日に、雲ひとつない晴天のもと、ポツリポツリと雨が降る。
「……雨、か」
もう一度だけ繰り返し、ジアはじっと空を見つめ続けた。しずくがまたひとつ、頬を流れていった。


 喜びに、哀しみに、後悔に。感情が溢れ出せば、それは涙となって現れる。


 クリスマスまであと4日。やり残したことはありませんか?


No.49: the rain of tears.

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